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- プロフィール
月岡 彩 (つきおか・あや)
1978年 夏目漱石の「坊っちゃん」でお馴染みの愛媛県松山市に生まれる。洋一(父)と紀美代(母)が営むうどん屋「車井戸」の一人娘。そのため店と商店街が遊び場で あった。車井戸の隣は画材屋で、その2階では両親の友人の三野計氏がお絵描き教室を開いており、そこに3歳から通っていた。両親が共働きのため、近所のあらゆる習い事に通っていたが、いつの日か「美術の世界に行きたい!」と決意、中学2年で美大への憧れを強くする。しかし中学ではソフトテニス部であった(所属1年間)。中学3年時には生徒会副会長を務め、裏ボス的要素の片鱗もみせる。その後、愛媛県立松山北高に進学。高校に通いながらアトリエIGANDA(講師:三野計)でデッサン&デザイン構成の日々。しかし高校では放送部に所属。昼休みに好きな曲を流せると軽い気持ちで入った部活であったが、朗読で県3位、友人と作ったラジオ番組が全国大会に出品されるなど、意外に活躍。そんな中、昔からオシャレ好きの母の影響でファッションに目覚める。武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科 ファッションデザインコースを志望。無事、現役合格。「浪人は絶対ダメ!ムリ!」と親に念押しされていたので、意地であった。ファッションデザイナーに なってやる!と意気込んで大学に入ったものの、クラスメイトの気合い、東京のデカさに面食らう。負けたくない意地と、一人暮らしの開放感から、例に漏れることなく遊び倒す日々。自分を偽って過ごした1年生の最後の授業、写真。課題は「変身」しかもポートレートであった。そこで初めて自分に素直な作品を提出。絶賛。単純だが自信を持ち、カッコつけることをやめた。それからは楽しい大学生活だった。酒も飲んだ。人にも恵まれた。そうしていると3年~4年生には方向性がほぼ決まっていた。卒業制作は見事にコケたが、卒業後、同大学同学科の教務補助に就任。週3回の勤務だったため、アルバイトと両立しながら制作を続ける。転機はスパイラル主催の公募展SICF2ndでグランプリを獲ってから。発信の場が急に増える。教務 補助の任期2年を全うし、フリーランスで2年間、国内外の展覧会やプロジェクトに参加(※WORKS参照)。その後、同大学同学科の助手に就任。 助手の業務が思いのほか自分に向いていたため、任期を延長して5年務める。学生に自分の生き様を見せつけたのが良かったのか、気のいい学生とも多数出会い、今でもいい仲間である。助手任期満了時に妊娠が発覚。結婚、出産する。出産と子育てで約2年間、制作活動を休んでいたが、ついに復活!現在に至る。
2007年 2007グッドデザインしずおか奨励賞受賞 「いろはかるた」
2001年 第2回 SICFグランプリ受賞 「新カクレンボ大作戦」 作品をみる